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あなたが作り出したあなたは、もういりません。

みっちです。

今日も春みたいに
暖かい日でした。
雨上がりだったので、畑にシイタケを
採りに行ったら、空にはツバメの声が。

昼間も長くなってきたし、今年は寒く
ならないうちに春がくる気配です。

さて、昨日のブログを読んでくださった
方から、
どうしてリハビリすることにな
ったの?
と、質問をたくさん頂いたので、
これまでの流れをお話ししたいと思いま
す。

1月21日から病院で左脚のリハビリを始
めました。
通院は今日で6回目。
自宅では毎日、理学療法士(PT)の
先生
に習った運動を地道にやっています。

毎日やっていると、身体が応えてくれま
す。
だから、痛みはつらいけど、楽しい
です。

自分の身体を知る。そして、受け入れる
ずっと行きたかったヨガのクラスに念願
かなって
参加した時の事。ヨギの先生か
ら、「美智子さん、身体の
左側の筋肉が
とんど機能してないですよ」と指導を

けました。そして今後どのように身体が
退化して
行くかを教えてくださいました。

私は、10年前から、理学療法を受けるべき
だと
わかっていました。でも医者からなん
言われるかが怖かったのです。
そして、12年前にリコネクションを受けて
痛みがなくなくなった左脚を触られるのが
怖かっ
た。触られてまた痛みが再発するん
じゃないかとびくびくしていたんです。
でもね、臆病にもほどがある。左右の脚の
長さが3センチも変わっているのに…。

しかし、医者に行こうと思った一番の決め
手は
ヨガの最中、自分を抱きしめるような
ポーズがあったのですが、その時に何故か
わからないけれど涙がぽろぽろ流れたこと。

私は自分の身体がかまって欲しいと言って
いるのだと気づいたのです。
自分のことは自分がかまってあげなければ、
誰も
かまってはくれませんから。

解放へのゲートをくぐる
レントゲン写真を見たDr.は私の顔も見ずに
D「脚が痛いんでしょ?」

私「先ほど問診でも申し上げたように痛み
はないんです」

D 「えっ?」
↑ここで初めて私の顔を見る。しかも
信じられないという顔で。

私「先ほど問診で申し上げたようにヒ
ーリングで
痛みがなくなったんです」

D「えっ?何?何て名前の?」

私「リコネクションです」

D 首をかしげながら沈黙…

D「それで、どうしたいの?」

私「リハビリを受けたいんですけど」

D「はいはい、じゃあ、リハビリ室に
行って!

私はこのあっさりさに、愕然としました。

ついさっきまで、25年前の私の主治医だ
ったら
痛くないはずがない。私の常識以
外は受け入れない.。
こんなレントゲン写
真の状態だったら、手術を
しないとあな
たは救われない。などと言い、患
者の私
の意向を無視し、何でここまでほおって
おいたのだと、ののしっていたでしょう。

医者がそんなこと言うなんて、信じられ
ないで
しょう?でも、そういう時代…
いいや、昔は
私がそういう医者と周波数
が合ったので共鳴し
ご縁があったのだと
思います。または、そこだけ私の脳が拾
っていたのかもしれません。

私の左脚の病歴は、生まれた時に股関節
脱臼があり、変形性股関節症は、その後
遺症ともいわれています。
私は16歳から左脚に痛みが発症し、25歳
の時に手術を受けました。右の骨盤から
骨を採取し、左の股関節へその骨を移植
する術法で、人工関節ではないため、今
のリハビリが可能になっています。

自分自身に謝る、そして感謝する
時代が変わって医療の考え方や、患者へ
接し方がこんなに違っているのに自ら
情報を
遮断していました。

私はこの日、早くリハビリを開始しなか
った
自分にごめんなさいと言い、自分に
身体を本来のバランスが
取れていた状態
に戻してあげることを誓いました。

そして、口は悪かったけど、人工関節で
はなく自分の骨や自己血で手術してくだ
さった主治医に改めて
感謝しました。

そして、主治医の言葉を思い出しました。
「私は身体障がい者を作るために手術を
行って
いるのではないのだ」

「あなたが作り出したあなたはもう要りません」
昨日、PTさんに言われたことです。
「えとうさんが作り出したえとうさんは、
もういりません。
自分の中心をしっかり
認識して本来の場所はここだ、というと
ころを
覚えていてください。」

リハビリのベッドの上で、膝をついて自
分の中心を意識しながら両脚立ちした私
は久しぶりに大地を踏みしめて立ってい
るな、という感触がありました。

25年前に手術を受けてから他人の脚みた
いだと思っていた左脚が
自分の脚に戻っ
た瞬間でした。

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