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リコネクションセミナーレポート

リコネクション®ジャパンに寄稿するための原稿を書きました。

このレポートの原稿を書くにあたって、私は、リコネクション®のルーツに帰ろうと思い、久しぶりに自分の昔のブログを読み返してみました。ブログって素晴らしいですね。忘れていた過去の自分を客観的に観ることができます。そして、読んでいくうちに、リコネクション®との出会いからリコネクティブ・ヒーリング プラクティショナーを目指すまでの心理的、物理的な背景をありありと思い出すことができました。
なんて初々しかったのだろう!自分。そういうわけで、今回は、私とリコネクション®の出会いから、何故プラクティショナーを目指したのか、そして何故これからもリコネクション®なのかを過去のセミナーレポートと最新のセミナーレポートを交えてお伝えしていきます。

私とリコネクション®との出会いは、2006年の10月。結婚して6か月目になろうとする頃です。幼いころからの股関節の痛みがピークに達していて、家の中では激痛のため、赤ちゃんのように「はいはい」して過ごしていました。医学的治療はすでに10年前に済ませてあったので、病院通いは諦め、祈祷師や、前世療法、カラーセラピーなど、「痛み」を取るために、ありとあらゆる方法を試していました。

また世間的にスピリチュアルブームが到来していたので、ネットでスピリチュアルや、セラピー関係者のブログを拝見していると記事中にちらほら「リコネクション®」の文字が出始めていました。少しずつ、気になり始めていた、3か月後の2007年1月の新月。たまたま見ていた友人のブログにエリック・パール著の「リコネクション®~人を癒し、自分を癒す~」がお薦め本としてあがっていました。この時は、とても「気になって」早速アマゾンで購入しました。本を読み始めてすぐ体調に変化がありました。そして、過去3年程の自分の体の異変のヒントをもらえました。

早速、リコネクティブ・ヒーリング ®を受けてみようと、近くのプラクティショナーに予約を入れました。どの様な変化が来るか楽しみでした。(ホントは期待しちゃいけないのだけど。)軽い説明の後、ヒーリング開始。「プラクティショナーは体に触れることなくクライアントのエネルギーフィールドと繋がって行く」本で読んだイメージとぴったりで、びっくりしました。そして、ヒーリングの途中から様々な気づきが訪れました。痛みは取れませんでしたが、このセッションでの気づきは、自分を信じるための要素にあふれ「一生の財産」になりました。

その後、リコネクション®のセッションも受けたくなりましたが、当時、地元にリコネクション®ができるプラクティショナーが不在だったため、東京在住のプラクティショナーの予約待ちでした。
予約の日が近くなったある日、リコネクションのセッション代金と旅費の予算が違う方向に流れていく出来事がありました。私は、泣く泣くセッションを手放し、次なる情報を求めてネットで、リコネクション®アメリカ本部のホームページを見る日々が続きました。そして、ついに気になる情報をみつけました。オーストラリア、シドニーでのセミナーです。

リコネクションのセッションの予約も現地のプラクティショナーにメールで取り付けることができました。さて、ここまでは順調にいったものの、次の課題は支払です。セミナー代、飛行機代、ホテル代、セッション代。私は仕事を辞めて専業主婦をしていたものですから、貯金はゼロ。夫には「貸して」とは言えないし、迷いましたが「脚の痛み」が背中を押してくれました。全てをクレジットカードで支払いを済ませて分割払いにし、腹を決めたところで1本の電話がありました。

「みっちー、オーストラリア行くんだってね。お金いるでしょ?売上がたまってるから、取りにおいで。」私から音響設備を借りていた友人からでした。当時Fecebookはありませんでしたが、狭い町なのですぐ話が広がるのです。まさしく「神の声」でした。一気にローンがなくなり、安心して旅立つことができました。

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「脚の痛みが治るかもしれない」

シドニーでのセッションとレベル1&2のセミナーは期待でいっぱいでした。もちろん、セミナーは医療行為ではないと知ってのことです。しかし、セミナー最終日になっても痛みは続いていました。

今思うと、私がセミナーに参加した目的は、「ヒーリングの習得」よりも、「自らの癒し」でしたが、全くもってそれはやってきませんでした。そして、最終日のラスト30分前、癒しが訪れるのを完全に諦めたところで、ある気づきがやって来ました。

そしてその気づきから脚の痛みから解放されたのです。実に、38年ぶりに自由を手にした瞬間でした。また、同時に、「ヒーリングの可能性を困っている方にシェアしたい!一人でも、笑顔が広がったらどんなに素晴らしいだろう!」と、プラクティショナーとして仕事をしていくことをはっきり決めました。

その後、現地で知り合った友人や、TAからレベル3受講の誘いがありましたが、断りました。なぜなら、リコネクティブ・ヒーリング ®をお客様に提供し、実践、実績を積んだうえでレベル3を習得した方が、自分のため、お客様のためになると考えたからです。実際、私的には正解でしたが、セミナーが終わってからの独学の道のりは長いものでした。メンタリングも10回近く受けました。お客様に、正確な情報をお渡ししたい。真のプラクティショナーになりたい一心でした。

月日は流れ、もっとリコネクションへの理解を深めたくて、ティーチングアシスタント(TA)&メンターを目指して、シドニーに英語習得のための短期留学をしました。プラクティショナーになりたての頃は、「どういう仕事をしているのだ」と反対していた父や、ヒーリングという仕事自体を認めていなかった夫も、私の動きを見て、快く笑顔で送り出してくれました。

しかし、一番驚いていたのは、この私です。まさか、40歳過ぎてから、海外で勉強や、仕事をするなんて。リコネクション®を受けてからは、「まさか」という予想外の事が多くなりました。

「リコネクション版、幸せを叶える仕事術♪」と言ったところでしょうか。

2011年にTAになってからは、日本セミナーが開催されなかったので、海外でのセミナーを手伝いました。昨年は、個人的な事情と、日本セミナーの準備のために「日本でリコネクション®を広げてください」と本部担当者に言われたのもあり、セミナー参加はせず、日本のみなさんに、リコネクションを知っていただく活動を続けてきました。そして、約2年ぶりの2014年10月に、カナダ・バンクーバーセミナーに行くことになりました。

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2014年の5月より、大きく進化し、拡大したセミナーは、前評判通り充実の5日間でした。カリキュラムは、リコネクティブ・ヒーリング ®の全てを余すことなく伝えられ、実技に関しても1つ1つ丁寧な指導は、受講者にとって優しい内容となっていました。また、何と言っても、嬉しいご褒美は、Dr.エリック・パールが5日間も参加者の指導にあたること!

この内容なら、「なぜこうなるの?」「これってどういう事?」などの疑問質問が格段に減っていくでしょう。セミナーが終わり、参加者のお見送りをするときに、それを確実に感じました。だって、参加者のみなさんが飛びつくように、私にハグしてお帰りになるんですもの!世界のセミナーいろいろ周りましたが、こんなお別れは今回が初めてでした。

そして、うまく言葉にできないのですが、そういう参加者を観て触れて、私の中のまだ眠っていた何かのスイッチが入るのを感じました。

最後に。
長くなった私の肩書をまじまじと見つめ、肩書に恥じないプラクティショナーになろうと再度心に誓い、早2か月が経ちました。
でも、人間ですから、忘れてしまう時があります。そんな時は、お客様が思い出させてくださいます。

 人を癒して自分を癒す。名の通りのヒーリング体験に毎回出会います。そして、寝る前に、夜空の星座を見上げて「みんな、宇宙から愛されているのだな」と笑顔が戻った自分に気づくのです。

 ファンデーショナル/サーティファイド・プラクティショナー
リコネクションティーチングチームメンバー&メンター

稲元美智子