感情的不感症からの脱出2

ささやき

 

感情の感症からの脱出1の続きです。

耳が聞こえるようになってから、
だんだん積極性が出てきました。

聞こえだしても、すぐ元通りの
生活ってわけではなく、


耳がちゃんと聞こえなくて、
心が動かなかったり、
何でもネガティブに考えてしまいそうになる
クセが
だんだん抜けてきたといった感じでした。

聞こえだしたら、聞こえだしたで、
本来の私の聴力に関する
「苦手なこと」を思い出しました。

それは、騒々しい場所にいるときは、
周りの音と
メインの聞きたい情報が聞き分けられない。
ラジオ出演などの際、BGMがあると、
そちらに気をとられてしゃべれなくなってしまうと言った、
いわゆる「カクテルパーティー効果の機能した耳
でない事です。

これは、小さい頃からそうで、大変困っていました。

そんな中、耳の機能について

書いてある情報を見つけました。
それによると、

聞くという事は、

子宮内の胎児に発達する
最初の感覚であり、
死に近づく人間の肉体に最後まで
残る感覚であるらしいのです。

実は、私たちがどのように聞くかは
外の世界からいかに学び、
どのように交流するかに、
深いかかわりを持っているのです。

聴覚の研究に障害を捧げた
アルフレッド・トマティス医学博士は
聞く事と聴く事を明確に区別していました。

彼の研究では、聞くとは、
周囲の音を単に聞き分ける

受け身のプロセスを意味し、

他方、聴くとは、自分たちが
耳にしているものの意味を
理解しようという意識的な

意図を必要とする、
能動的なプロセスだとされています。

その結果、よく聞くことはできても、
聴く能力はさほどでも
ない、
というケースが生じ得ることになります。

ジーン・エアーズによる
感覚統合(注:環境の中で自分の身体

を適応させるための
感覚情報処理の過程)の研究では、

内耳の前庭が十分な刺激を受けないと、
その聴覚的刺激の
不足を補おうとして、
子供が多動になることが明らかになりました。

良き聴き手は、音を聞き、
それに備わった情報に注意を払うと

同時に、その背後にある不必要な雑音を
除去しているのです。

優れた聴き手は、音に合わせて
自在に自分の意識を調整できますが、

そのような能力が劣っている場合は、
音を選びつつ雑音を消すことが

出来なくなるわけです。

極端な場合では、
絶えず音を浴びせかけられる状態に

陥り、その中で自分を守る唯一のメカニズムとして、
あらゆる音を無視することになってしまうのです。
注意欠陥障害(ADD)を持つ人々の行動がこれに
当てはまります。
しかし私たちは音を耳ばかりで聞いているわけではありません。

次回に続きます。


 

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