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未来のために「今を」浪費しちゃだめよ

みっちです。

みなさんお元気ですか?
大変ご無沙汰しておりました。
久しぶりにブログを書こうという気にさせてくれたのはリコネクションのセミナーでビッグママと呼ばれていたパット・アタナスさんです。

彼女は赤いマニキュアが似合う美しい手をした方でした。リコネクションのセミナーに行かれた方はご存知かと思いますが、日本時間の1月31日に亡くなられました。

白血病でした。
私の母もATLという白血病で亡くなったので、
パットの終末期がどんなで
あったか想像すると
胸が張り裂けそうな気持に
なっていました。

でも、今はその苦しかった肉体から離れ、
光の国で休息されているとほっとします。

その、パットと出会ったのは2007年11月、リコネクションのレベル3のセミナーが東京で開催された時です。たまたま私のいたグループの担当TA(テーチングアシスタント)でした。当時は普通のTAだったので、随分努力されたのでしょう。

亡くなる前までは、ヘッドTAと言ってセミナーのスケジュール管理からメンターの育成、指導、イベントの開催準備に至るまであらゆる場面でチームのために尽力されていました。



そこで、今日は、彼女と一緒に仕事をさせていただいたセミナーを振り返り、思い出を語ってみたいと思います。

2010年10月 ロサンジェルスセミナー
このセミナーに先立ち、私はメンターのトレーニングを受けました。場所はハリウッドにあるヒルトンでセミナー後カンファレンスもあり、数千人をパット他、数人のAI(アソシエイトインストラクター)が仕切っていました。

トレーニングからラストまで約2週間ヒルトンに缶詰めでした。

2007年に彼女に出逢った時からすると、「パットさん、恋でもしているのですか?」というくらいの変身ぶりにびっくりしました。
ファッション、メイク、髪型、立ち振る舞いから全て変わっていて、かっこいいな、あんな風になりたいなと思ったのを記憶しています。

印象的な思い出は、パットに「昨夜はありがとうございました」と日本の社交辞令的に挨拶した時のこと。怒ったように「何にありがとうなの?」と聞かれ、「えっ?全体的にありがとうじゃダメなの?」と思いつつ「ディナーをご馳走さまでした」と伝えました。それからというもの、外国人の方には気がけて漠然とした挨拶はしないようにしています。

2010年12月 東京セミナー 
日本のセミナーにトレーニーで参加させてもらえるように手紙を書いてくれました。そのお陰で日本セミナーの体験ができました。

2011年 9月 チェコ・プラハセミナー
久しぶりのセミナー参加で、おどおどしている私をパットはやさしくハグしてくれました。本番前夜、セミナー前のプロモーションイベントを自主的に手伝った時の事です。パットが私の目を見ながら、「あなたのそのエッセンスが好き」と言ってくれました。事務所のスタッフ以外のTAはみんな観光に行っていました(これが普通の事だと思います)私はセミナーのために遥々、プラハくんだりまで来ているのだから、せっかくなら観光よりも大好きなセミナー関係のお手伝いをしようと思っただけです。
それに、海外で物を売るという事や、セミナーの説明をしてその場で契約をとる経験なんて普段ではできないわけですから、楽しかったですよ。

 


2011年10月 ストックホルムセミナー

この回、パットは風邪をひいていて具合が悪そうだったけど、頑張ってレベル2までやり切りました。アロマの瓶を鼻元でクンクンやっていたから、鼻風邪だったのでしょう。ヘッドTAはずっと立ちっぱなし、ずっとしゃべりっぱなし、お客様から質問がくればそれに答え、食事もゆっくりとれない。年齢的なホルモンの状態なども考えると「使命感がないとできない」と感じたセミナーでした。その後の夕食会で私がメンターとTAに合格した通知をくださった後、レベル3は他の人にヘッドTAを引き継ぎ、アメリカの家に帰っていかれました。パットが帰った後は、シーンとしていました。
ところで、このスエーデンは入国したとたん、何て表現していいかわからないけれど、男女平等に扱われているな、人格を見てもらえているな、と感覚的に感じた国でした。ですから、そのストックホルムのセミナーでメンターそして、TAになれたのは嬉しかった。なぜなら、女だからと蔑まれて来たこれまでの人生がやっと平等に扱われたような気がしたからです。

2011年10月 ベルギー・ブルージュセミナー
このベルギーのセミナーは紅葉が綺麗でしたが、選んだホテルが由緒あるホテル過ぎて、リフトも無く、バスタブもなく、寒くて身体を疲労から回復できずに辛かったです。教会の鐘の音が朝と夕と元気をくれました。ここでは初めて人種差別を受けました。文句を言いたくてもセミナーのお客様だから何も言えず、心が引き裂かれる思いでした。しかし宇宙はうまくバランスを取ってくれるもの。親しくなった人たちも大勢いて今でも連絡を取り合っています。

2012年 6月 オランダ・アムステルダムセミナー
オランダでは、ベルギーに続き人種差別を受けたセミナーでもありました。オランダは、各国から集まりやすい場所なので、ヨーロッパ他いろいろな国の人たちが集まっていました。アメリカやカナダ、オーストラリアなども様々な人種で構成されていますが国籍は同じ。それとは違い国籍が違う人たちが集まるといつもとは違う雰囲気が会場に流れます。休憩時間に担当セクションのAIから、「セミナー中何か問題はないか?」と聞かれて「実は…」とお話しすると「気にしなくていい!」と一言だけいわれました。それから臨席していた仲間に「みんな協力してやるから大丈夫よ」と言ってもらえ、頑張れたセミナーでした。

セミナーが終わり、さよならするときに、パットが報告を受けたのでしょう。何も言わずに包み込むようにハグしてくれました。あたたくて、じんわり涙が出ました。一番印象に残っているハグでした。



2012年 8月 オーストラリア・メルボルンセミナー
この時は、鹿児島空港からインチョン空港経由メルボルンと言う旅程を立てていたのですが、台風で鹿児島から離陸できないので、急遽福岡まで移動して飛行機に乗るという波乱の移動でスタートしたセミナーでした。ここで久しぶりにパットに会いました。そこでは、オーストラリアの国民性に合わせたラフだけど素敵なファッションをしていました。この回では、パットがセッション用のマッサージベッドをホテルの部屋で使えるように気づかいしてくれました。それから、これまでは、チームのお姉さんのような感じのふるまいでしたが、まるでお母さんみたいな発言を聞き始めたのはこの頃です。



2012年10月 ロサンジェルス・ニューポートビーチセミナー
この回はパットはいませんでしたが、ホテルのルームメイトを紹介してくださいました。これまでは独りぼっちの滞在だったので、シャスタ山から車で来た先輩との相部屋は嬉しいけれど緊張しました。2人部屋だと、セミナー前の準備や、化粧前をどう使うかとか、セッションはどうするかとか全く段取りがわからなかったから。でも、その先輩は「私は何度も日本のセミナーを手伝いに行った事があるのよ」と言って親切に接してくださいました。

2014年10月 バンクーバー (レベル1)(レベル2)
久しぶりのセミナー参加でした。ここにもパットはいませんでした。
この時は、来年の2月に東京でセミナーを控えているのでその予行練習的な意味合いも含まれていました。セミナー形態も変わり、スタッフも変わっていました。変わることを望んでいるのにいつも、いざというときは尻込みする私の性格をパットは良く知っていて、派遣させてくれたんだな、と思いました。



2015年2-3月 東京リコネクティブ・ヒーリング ®(レベル1)(レベル2)
5年ぶりに開催された東京セミナーにパットは来てくれました。

セミナー何日目かに目を怪我されていましたが、頑張って最後までセミナーを終えられました。控室でお昼に毎日外国人スタッフと一緒にマグロのお寿司をにこにこ顔で食べていたのが印象的でした。お箸を上手に使っていましたよ。

 

2015年8月ブラジル・サンパウロ リコネクティブ・ヒーリング ®(レベル1)(レベル2)
ブラジルに入る前、カナダのオタワに短期語学留学をしていました。その時にブラジルに入るビザを申請していたのですが、宮崎銀行の残高証明がなかなか届かない。どうしたものかと思っていたところ、友人と、渋谷のブラジル大使館にお勤めだった方の計らいで超スピードでビザを発行してもらい、ギリギリのところで入国できることになりました。

ブラジルのセミナーは、みんなパットの子どもたちと言う感じでした。リコネクションのチームもビッグファミリーがやって来た!というイメージで南米らしいおおらかさは、パットの笑顔を弾けさせていました。この時は、セッション希望者が多かったのか、めずらしくパットや他のスタッフもセッションを受付ていました。疲れているだろに…と思ってみていましたが、その日、白いドレスを着ていたパット。そのセッションの優雅さはまるで女神がダンスを踊っているようで、絵画みたいでした。



2015年9月  東京浅草RCPP(リコネクション レベル3)
パットがインストラクターで開催しました。この時は新メンターのトレーニングも兼ねていました。パットに浅草ビューホテルを私が手配しました。夜の食事会の時に、パットがぽつんと、「私の部屋からお墓が見えるのよ…どういう意味かしら…」と言ったのを覚えていて、そういわれた時、「部屋を変える手配をしましょうか?」とか、「ホテルを変えましょう!」と言えばよかったなと今更ながら思います。ばかげた発想だとはわかっていながら、そうすることで未来が変わったのなら…別れの寂しさに、ついついそう思うのです。

パットに都城のお
土産だとお菓子を渡したら「一晩で全部食べちゃったわよ!」と言うので他の人にあげようと思った分も追加であげたのが昭栄堂のなごみ。一昨年のクリスマスにもプレゼントで送ったら、今度はパットのご主人が気に入ってほとんど食べた~って泣き笑いしていました。月曜日になったら、お悔やみに送ってあげようと思います。

2016年7月 リコネクティブ・ヒーリング トレーニングプログラム
7月の満月の日に最終日を迎えたセミナーはパットにとって最後の来日となりました。この時に個人的な話はしなかったけれど、ステージ上でのお話しは
心に残るものがたくさんありました。

以上を振り返り、一方的に親切にしてもらって私は何もお返しができていないではないか、心配ばかりかけて病気の原因のひとつを作ったのは私ではないかと、ふと考えてしまうことになった9年前のストーリーを思い出しました。

魂のシナリオ
母が死んだとき、母の兄から「お前の(親不孝)せいでチヨ子は死んだんだ」と言われました。それぐらい妹の事がかわいくて私にしか八つ当たりできなかったんだろうと、今の叔父をみたら思いますが、言われた当時は真に受けてショックでした。
それがきっかけで、「死」や「魂」のメカニズムについて勉強する時間が多くなりました。それで今、私が信じているのが、「生まれる前に、人生の目的や、死ぬ時期、死に方も何パターンかシナリオを決めて生まれてくる」というものです。

「実際は、生まれることも死ぬこともない魂が人間としての体験をしているだけなのだ。」ということが導き出されてきました。

転生した母のはなし 
ところで、ある人から、「○国の○○市にいる男の子は、母の生まれ変わりだ」という事を聞いて、実際会いに行きました。前世療法でよく聞く、「目を見れば相手がわかる」とか、「雰囲気が似ている」とかいう言葉を信じて、母との劇的な再会に期待していましたが、感動の再会シーンどころか、全く生前の面影はなく、初めはなついてもくれなかったので、ガッカリして帰ってきました。
でも、家に帰ってから、その子の動画が送られてきた時に、その男の子は母だと確信したのです。実はその男の子に弟ができていて、その弟に、「いないいないばあ」をしているときの様子が、母そのものだったのです。

今を生きる
私は、母の転生を信じて受け入れた時に、母は、もう違う人生を送り始めたんだとはっきり自覚しました。いくら過去世は私の母でも今はもう他人なんだと。生前の母は身体が弱くてつらい人生でした。でも今は元気いっぱいです。もう、私との過去は無いのです。今を生きているのです。

その様子を見て、私も残りの人生楽しんで、頑張っていかなきゃと意識がはっきりしてきました。わかったつもりでいた「魂のしくみ」をリアルに理解できたこと。そして、未来や過去を悔やんで、心配して、「今という時間」を浪費していた私に気づけました。

それに気づけたから、お互いの学びが終わったときに関係が終了するのだという事も思い出すことができました。

正の連鎖です。

笑顔が素敵だったパット。彼女の包み込むような存在の在り方を見習って生きたいです。さて、この世での学びを終了したパットは次はどこへ行くのでしょう?

さようなら、パット。
また、会いましょうね!

Love,
Michiko




 

 

 

 

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