【みっちゃんねる】2018.1.テーマ「死」について

みっちです。

1月20日は、大寒でしたね。
以前、ラジオで風水の番組を持っていた時に、
大寒生まれの卵を食べると「金運」に良いと、
ご紹介したら、スーパーにお客様が殺到。

卵製造メーカーとスーパーから、
いきなりそんなことを言ってくれるな
と、
クレームを頂戴したことがありました。(笑)

私としては、意外とラジオを聞いてくれて、
実践してくださる方がいらっしゃるのだな、

と、感心したものです。

実は、卵って「春」に生まれるのが自然。
大寒に生まれる卵は、昔は、とても貴重だったはず。

今はいつでも卵が食べれる時代で、
そのことに感謝したいと思いました。

さて、1月のビデオできました。
今回は、ずっと前からお話ししたかった
「死」というテーマ
について3回シリーズで
お届けしたいと思います。

私は仕事柄、人の「死」に向き合うことが多いです。
病気を持たれた方、また、その家族。

精神的に打ちのめされて「生きること」と
向き合っている方、
また、その家族…。

だから、私は「死」というのをどのように
受け止めているのか、個人的、仕事的、常識的と
まずは、自分のことを知りたいと思いました。

ビデオの編集作業をしながら、何度も何度も
私が発している言葉を聴いて、自分の姿を見つめ
ました。

ビジュアル的には、毎年「太る」月なので、
毎年、あまり人前に出たくない時期なのですが、
リコネクション本部からの「宿題」ということもあり、
1か月に1本はビデオを撮る!と決めたので
前に出ようと思います。

今回、ビデオを公開するにあたり、
「死」について研究している
友人に監修をもらいました。

それから、聴き手の岩切加代さんとも
何度も何度も打ち合わせをして、
「映像を通して伝える」ことを真剣に
語り合いました。

これから1年は、リコネクションの本部に
与えられたお題ではなく、自分の興味のある
みっち的な、「旬な話題」をお届けできるので
それが嬉しいです。

 


文字起こしをしました。

死ぬ準備をしなくなった。

してたの?

してた

例えば?

死んだときは、こんな写真を
飾ってほしいな、とか

リコネクションを受ける前は

そういうことばかり考えていました。

誰が葬式に来るかな?とか。

でも、もう今は考えない。

私がリコネクションを受けた理由は

私は音楽が好きで(バンドの)

みんなとプロフィール写真を撮る

そうすると、私の目が死んでた

私は、生きているのに、自分の目

が死んでいるなと思ったんです。

生き生き、生きている人って

目がすごく綺麗ですよね?

それで…どうして私の目は

生き生きしていないのだろうと

思いました。

写真を撮っている瞬間は

何を考えていましたか?

楽しいと思っていたはず。

だけど、客観的に見て

全然、目が生きていないなと思った。

リコネクションに出逢ってから

だんだん

表情が変わってくる。

(リコネクションで)
脚の痛みが取れたから

それが一番変化の要因だとは思うけれど。

では、死ぬための準備をしていた時は

死にたいと思ったりしましたか?

それが…

脚が痛かったから死にたいって

思ったことは何回もありました

自由に旅行ができないとか…

脚が悪いからモテないのかな、とか

本当にそう思っていました

私は障がい者なのだと

自分を自分で

「不良品」扱いしていたときに

生きている価値があるのかな?と思った。

今考えると、自分を安売りしていました。

自分を大事にしていなかった

自分を大事にしていなかったら

いい写真が撮れるはずがありません。

*****************

「死にそうになったことがあって」

何回ぐらいかな?

何回もあるの?

うん。

一回目は

20歳ぐらいのときに

寝ているときに

知らない人が入ってきたの

で、首を絞められました。

その時に、「生きたい」と思った。

その時も脚が痛くて苦しかった

会社にいっても、なじめなくて

この人生嫌だな、って

思っていました。

だけど

首を絞められたことで

「私は生きたいのだ」と思いました。

あと1回は

股関節のところに

釘を刺して固定しその時も本当にて

股関節の手術をしました。

Dr.から、倒れたら動脈に

(釘が)突き刺さって死ぬから

絶対こけないようにと言われていました。

だけど、こけてしまいました。

その時も本当に、死ぬと思いました。

だけど、その時も

「生きたい」と思いました。

あとは、タイに居た時に

家族でバンコクにいて

家族の目の前に

機関銃を持った、人たちがいて

(私たちの乗っている)
タクシーの運転手が

(目の前の車を)
あおって

その時に銃口を向けられました。

その時にも

やっぱり「生きたい」と思って

日本人で銃を向けられるって

なかなか無い体験。

さすがに、びびった。

その時に「生きたい」と思いました。

自分では死にたいと思うことがあっても

命が違う力で絶たれようとしたときに

(死の)タイミングではないのでしょうね?

昨年の正月に

舌をかんだので、病院に行きました。

病院の先生が

すぐ国立病院に行きなさい!と言いました。

なぜなら国立病院は

癌の患者さんが搬送される病院。

(診察までの)約、12時間は

生きた心地がしませんでした。

だけど、その時も

「生きたい」って思いました。

私は音楽が好きで

歌を歌ったりだとか

しゃべるのが好きだから

もうこれで

もし生きられたとしても

舌が無くなったとしたら

もう、歌も歌えない

お喋りもできないと思ったら

生きた心地がしなかった。

だけど…

何もなかったから良かったけど

命があるだけで

ありがたいなと思いました。

大事だなと思いました。

食べるのも好きだしね(^^)

(笑)