みっちと変形性股関節症と気付きの医療

私のリコネクション®体験談

みっちと変形性股関節症と気付きの医療
この文章は、4年9か月前に書いた文章です。
リコネクション®後私の股関節の痛みが去って行ったヒーリングストーリーが書かれています。
痛くて痛くて、赤ちゃんの様にはいはいしていたのが嘘のよう。

あれからずいぶんたちますが、痛みがない生活に感謝です!

みっちのリコネクション®体験記
リコネクション誰にでも当てはまるとは思いませんが、みなさんの参考になればと思い、私にとってのリコネクティブヒーリング®及び、リコネクション®体験談を書きます。

私は、変形性股間節症(タイプA)の手術を11年前に、宮崎県立日南病院のDr.長鶴氏より受けたにも関わらず痛みが増すばかりでした。

カルマではなかろうかと、前世療法へ行きましたがガイドからのメッセージによるとカルマの影響ではないと言う事でした。
藁にもすがる思いで、ありとあらゆる所へ行き、又いろんな方からいろんな事を勧められたりもしました。
もうそろそろ限界かも。。。と思った時、

リコネクティブヒーリング®と、リコネクション®に出会ったのです。

それまでのいきさつは。。。
私は生まれつきの股間節脱臼で小さい頃から何かと制限されて育ちました。
中学になってからは医者の手を離れ、部活動はテニス部に入りアクティブな生活を送っていました。
高校に入り重い荷物と重い体に(体重がこの頃から増えて来ました(^_^;))左股関節が悲鳴を上げはじめました。
整形外科に行くとその頃(今から24年前)は人口関節に取り替える手術しかなく、Dr.から「あなたは、まだ15歳だから関節を使うだけ使ってもうこれ以上使えないとなったら、人工関節にしなさい。」と言われたんです。
その頃の人工関節のパーツは今みたいに丈夫ではなく消耗が激しいので5年~10年で取り替えなければならないと言う事でした。
高校に入ったばかりの私にとっては、無期懲役を命じられたようなものでした。

そんな中、唯一救いになったのが、現代社会の授業中やホームルームで、担任だった先生がずっと教科書は無視して、古代哲学~現代哲学、宗教、心理学まで網羅した「人生とは何か?自分とは何か?」などの講義を3年間に渡り講義してくれた事です。
精神修行の3年間になりました。

それから、短大に行き、就職し、手術を受け(人口ではなく自分の骨盤を削って股関節に埋める手術)今に至るまで常に股間節の事が引き金となり、いろいろな事を断念せざるをえない状態が続いていたのです。

確かにこれまでにいろいろな情報や、気付きは沢山ありました。
ヒーリングやセラピーに行って、「手放しなさい」と漠然と言われても何を手放すのか私の中に答えは出てきませんでした。

痛みの原因が何なのかわからぬまま、まず「リコネクティブヒーリング®」を受けました。

びっくりです!
ベッドに横たわる私にやって来たのは、意識改革でした。
なぜなら、
1.今まで、寝る前に感じてた変な違和感
2.家の中で、子供の頃から聞こえてた誰かのいびき
(昼夜問わず、誰も寝  ていないのにいびきが聞こえるんです)
3.金縛りのようになって首をしめられて苦しい感じ
4.ヒーリングなのに私にとってはヒーリングではなくどちらかというと拷問に近い感じ

これらは、今まで感じていた様々な現象や感覚全てを、いろんなヒーラーさんや占い師さんからの刷り込みもあり、「幽霊や怨霊のしわざ」と思っていました。
でも、それが全て、宇宙からのエネルギーだったのだと確信した瞬間に、リコネクティブヒーリング®は新しい何かだ!と分かったのです。

それから、今までの自分の常識から発生してた常識を見直したり、手放す事となります。

すぐ、リコネクション®を受けようと、東京のプラクティショナーに問い合わせをしましたが、その時はちょうど先立つ物がなく、プラクティショナーのスケジュールもいっぱいで、一旦断念しました。

でも、どうしても気になってしょうがない!
「私もリコネクティブ・ヒーリング®のプラクティショナーになりたい!」その一心で、海外のセミナー情報を集めて、5月にシドニーセミナーのレベル1&2に参加しました。

シドニーでのセミナーでは、エリック・パールがどんな風にヒーリングするんだろうとずっと観察していました。
あわよくば、私のこの足も治してもらえないかなと。
でも、エリックはいっこうに エネルギーを送りません。
講義中も、実演中も、会場中エネルギーですっぽり覆われているのにエリックはエネルギーを送っていません。
しかも、私に近づいてきてもくれませんでした(笑)

うむむむむ。
「はあ~せっかくシドニーまできたのに。。。私の足の痛みは治らないんだ。。。」
と思いながら、せっかくだから、会場に満ちてるエネルギーに浸かっていようと思ってた時でした。

私のいつも座ってた席に誰か他の人がいます。
あまりにも居心地がいい席だったのと荷物をその席の下に置いていたので、どいてくれるようにたのみましたが立ち退く気配無し。

実習が続き、またまたその席に誰かが座っていました。
仕方なく、他に空いている席を探しますが、空いていません。

そこで、一番後ろのステージと平行に置いてあるマッサージベッドに腰掛ける事にしました。
すると、エリックが正面にいました。

「おおう!神様どうか、エリックに私の足の痛みを治してもらいたいです。」と何度お願いしたでしょう。そして、エリックがまん前に見えたので、かまってもらえる気がして(単なる妄想ですが)、うれしくて足をぶらんぶらんしてたその時です。

あらっ?

このベッド、股間節の手術を受けた整形外科のベッドの高さとおんなじだ(内科のベッドよりかなり高いんです)

あらっ?
足をぶらんぶらんしている風景どこかでみたぞ。。。

あら?

その風景とは

1つは、11年前、県立日南病院でのベッドの上でした。
母親が見舞いに来てくれた時や、嬉しい事があった時足をぶらぶらさせるのが癖でした。

2つは、36年前、ベッドに横たわって両親が私をかまってくれてた時です。<嬉しいと、足をバタバタするのが癖だと母親から聞いていました。

あっらあ~!!

私は、かまってもらいたくてベッドにいたんだわ。
足が痛いのはその為なんだわ。
実は、私の両親は農業をしてて、昔の農家は機械も無く全て手作業だったので小さい頃かまってもらえなかったんです。唯一かまってもらえていたのが、病院のベッドの上でした。

それを気付くやいなや、股間節のさすような痛みと、寝ていて股間節が固まる事はなくなりました。リコネクション®のセッションの後も股間節の調子はわりといい感じでしたが、この瞬間、絶対的なものとなりました。

日本に帰る途中も、股間節のこわばりが気になっていましたが、大丈夫でした。
そして1ヶ月経とうとしていますが、大丈夫です。もちろん、筋力トレーニングはしています。

今更ながら、気付きって凄いなと思いました。
これからも、更にいろいろな気付きが加速していくでしょう。

もちろん、リコネクティブヒーリング®や、リコネクション®だけが今の私を作った訳ではありません。ただ、今の私にとって、気付きのチャンスの増幅器がリコネクティブヒーリング®とリコネクション®だったと思います。

誰にでも、ベストなタイミングで、自分の病気の原因を手放せるチャンスはめぐってくるものと思います。

この気付きのチャンスを、痛みから開放されるチャンスを痛みをもつあなたに分けてあげたい。
それが私の願いです。