さよなら、ぷりん

投稿日:2020-08-24     最終更新日:2020-08-26

みっちです。

ぷりんのために植えたキャットニップの花が
咲いていました。ああ、今日はぷりんの初七
日だと思い、その花を摘んでぷりんのお墓に
お供えしました。



今日は、思ってもいなかったことが私の人生
の一部になったお話をしようと思います。




このすやすやねんねしてる子は、
2004年にやって来ました。名前
はちび。

ちびがうちの子になって3日ぐら
い経った時の事です。めそめそ泣
いていた私をじっと見つめていた
かと思うと、トコトコと私によじ
登って涙をぺろん、と舐めたん
です。涙を拭いてくれたちび。

そのころは、動物は何でも知っている
なんてことは知らなかったものだか
ら、もうびっくりして。

猫は人間の気持ちがわかってるのだ!
と、ちびへの愛おしさが増しました。
次の日に驚きの異変がありました。猫
アレルギーによる目と皮膚の痒みが無
くなっていたのです。

猫アレルギーが治ったのがきっかで、
それからの私の人生に猫が関わって
いくことになりました。

写真の左側の子はぷりん。
右側の子がまろんです。
この子たちは、2008年の9月、明日は
台風が来るといった日にうちの車庫に
捨てられていました。すでに3匹の先住
猫がいたのでこの子たちは、初めから
里子に出すつもりで事務所で保護する
ことにしました。愛情をかけると別れ
るときがつらいと思い、必要以上の愛
情はかけないように育てました。

でも、毎日ミルクをのませたり、おしり
の世話をしたりすると、勝手に向こうは
お母さんと思うのでしょうね。冷たく
あしらうのに、なついてくるから切ない
思いを何度もしました。かわいいと思っ
たらいけない。好きと思ったらいけない…
何度それを頭の中で繰りかえしたかわ
かりません。

里親募集のポスターを方々に貼りましたが
結局連絡は来ず…結局うちの子になること
になりました。



それから、10年。ぷりんは兄弟のまろんの
死や、子供たちの失踪、仲間や野良猫たち
との猫関係、お引越しなどあらゆる経験を
積んで、私の実家の高崎町へやってきました。

最初は、仲間の猫のだぶと、コリンと3匹で、
隠居の空き家をきれいに掃除して住まわせて
いました。そのころは、3匹で仲良く平和だ
ったな。見てる私もほっこり。でも、昨年、
だぶとコリンが先立ってからぷりんが豹変。

ものすごく、にゃあにゃあ鳴く甘えん坊にな
ってしまいました。それもそのはず、ぷりん
が物心ついた時から多頭飼いで、ひとりぼっ
ちになったのは初めてだったから。

昨年の秋に、ぴたっ!と鳴かなくなったので、
どうしたんだろうと様子をうかがうと、若い
キジ猫が遊びに来ていました。私は最初、ぷ
りんの餌を狙っているのだろうと思い、警戒
していたのですが、ぷりんと仲良く餌を食べ
ているではありませんか!その子がいないと
きはぷりんは餌を残してその子が来るを待っ
ていました。

しかも、そのキジトラは、交通事故にあったの
か、左手に怪我をしていて、びっこをひいてい
ました。なんだか、私と歩く姿が重なり、他人
とは思えない気持ちになっていました。

春になり、そのキジトラは男の子だったので、流
離の旅に出かけてしまいました。ぷりんが寂しそ
うなのはすぐ見て取れました。半年ほど前、その
キジトラが近所に居るとわかったようで、ぷりん
は時々会いに行っていました。



そして、今年の8月14日。
午前中、亡き母が家に入ってくるのを目撃しま
した。母が亡くなってから10年経ちますが、見
たのは初めてでした。そして、その日の夜はこ
の家で今までに体験したことのない穏やかで包
み込むようなエネルギーを感じた夜でした。

翌朝5時に父のお味噌汁を作ろうと台所に行き
ました。外からぷりんの声がしないので、変だ
なあ、よそに遊びにいったのかなあと思いなが
ら味噌汁を作って、もうひと眠りしていたら、
畑から帰って来た父が私を呼びました。

「国道でひかれているのはぷりんかもしれ
ないから確認してきてごらん」

「かもしれない」と言う言い方が、父らしい。

私が出張中に同じくコリンが事故に遭い、
家に帰ってこなかった時も実は父は目撃
していて今回と同じように「コリンかも
しれなかった」と言っていました。

国道に確認に行ったら、認めたくなかった
けれどぷりんでした。

死の予兆というか予感はなんとなく感じて
はいました。それは、プリンは去年から、
原因不明の発作が出ていたから。昨年の8
月に居なくなった時には、死んでしまった
んだろうと諦めながら、Facebookで迷子
のお知らせを出したらメッセンジャーで元
気の知らせが届いて迎えに行くことができ
ました。



その失踪事件の時に、近所に聞き込み調査に
行ったとき、「ぷりんは誰かを探しているよ
うだった。小学生の後をずっとついて行って
いたからこんなに遠くへ来てしまったんだろ
う」と保護してくださっていた養鶏所の方が
教えてくださいました。

その時私は、瞬間的に、ぷりんは私を探して
いたのだということを悟りました。そのころ、
神戸に出張していてずっと家に居ない日が
続いていました。ぷりんの気持ちを思ったら
胸が張り裂けそうになって、愛おしさも増し
ました。

家で対面したぷりんを抱き上げ、ぎゅっと
抱きしめた後に、おでこにむぎゅっ!とち
ゅうをして、心の中で寂しい思いをさせて
ごめんねと言いました。



それからというもの、出かけるときには、
出かける場所と目的、帰ってくる日時の
目安を必ずぷりんに伝えてから出かける
ようにしました。

ここ何か月かは発作も出ずに安心してい
たのですが、この暑さのせいか、また発
作が出始め心配していました。
でも、まさか、事故で死んでしまうなんて
思ってもいませんでした。

こじつけかもしれないですが、ぷりんは死期
を感じており国道の向かい側にいる友だちの
キジトラにひとめ会いに行ったのではないか
なと思っています。

14日夜の包み込まれるような穏やかなエネル
ギーとこの事象を考えるとぷりんは、事故だ
ったけどそれは「寿命」のための事故と感じ
ています。

生前、猫嫌いだった母が、唯一「かわいいね」
と気に入ってたぷりん。母が亡くなって10年
も経つのに初めて私の前に姿を現したのは、
ぷりんを「ちゃんと天国に連れていくからね」
というサインだったのかもしれません。



父がいろいろ手伝ってくれて、大きなびわ
の木の下にある、だぶのお墓の隣にぷりん
のお墓を作りました。庭に咲いていたヤマ
ユリの花とホーリーバジルの花を手向けま
した。

だぶが死んだときには、びわの花が咲いて
いました。今は、さるすべりの花が揺れて
いました。

2004年から16年の猫との生活がいったん幕
を閉じました。ぷりんは私に12年間かけて、
一生懸命さと、他者を受け入れることを教
えてくれました。今も庭に出ると、ぷりん
がにゃあ、と出て来そうです。今日ホー
ムセンターに行ったら、ぷりんの餌を買わ
なきゃと思ってしまい、あ、ぷりんはもう
いないんだったと思ったら涙がでました。
店員さんに見られないようにさっと涙を拭
きました。


台風8号が迫っていますね。これからも、
毎年台風のシーズンになると、ぷりんとま
ろんを思い出すのでしょう。優しくしてい
ないのに素直にそして思いやりのある猫に
育ったあの子たちに感謝したいと思います。




いつもありがとう
Love,
Michiko