謎のライン

こんばんは。
みっちです。今日もマタリキのブログに訪れてくださってありがとうございます。
1月3日は、うちの主人(きょうすけ)が研究している謎のラインの探検に行きました。
詳しくは狂この頃(本館)をご覧ください。
謎のラインとは、座標(緯度):31.82,130度線上にある可愛山陵と、高屋山上陵を結ぶ線。下の地図の赤いラインが 31度線です。
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このライン上に日向3代と言われているうち、2つの墓が鎮座していて、日向灘に出るまでに何十もの神社が祀られています。
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何千年も昔、測量の技術が無かった時代に、同じ緯度にお墓を作るなんて!
んんんだもしたん!(信じられない)
しかもです!この31度をずっと東に伸ばしていくと、バミューダ地域を通り、更に伸ばしていくと、エルサレムへ続いていくんですよ!
さて、話を本題に戻して。
実は、12月の終わりに、ウガヤのお墓、吾平山上陵に行きました。
ウガヤのお墓は、霧島山を結ぶラインがニニギとホオリのお墓のラインと直角に交わる場所にあります。
訪れると、それはそれは静かな場所で、鳥居のある祠まで随分歩きました。凛とした冷たく澄み切った空気の中を進んでいくと、参道の右側には小川が流れていて鯉が静かに泳いでいるのが見えました。先祖がここに静かに眠っているなんて…何て恵まれた場所だろうと思いました。いわゆる異空間を感じる場所。お墓も、古墳の様な人工的に作られた山は無く、宮崎の鵜戸神宮を思わせる岩を使った祠でした。
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そして、3日に訪れたのが、ホオリの尊のお墓、高屋山上陵。鹿児島の溝部空港のすぐそばにありました。ここは、吾平山上陵と比べると参道は短く、また町のそばにありました。形態は、古墳のように大きな山の様な塚になっていて、鳥居は塚の麓にありました。

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その次に、鹿児島県川内市のニニギの尊のお墓、可愛山陵に行きました。
ここは、新田神社と併設になっていて古墳の頂上に鳥居がありました。
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DNAから先祖をたどっていくヒトゲノム計画で明らかになった人の流れで言うと、大陸から渡って来た豪族が1代目、2代目、3代目と、日本の風土になじんでいったのであろう墓づくりと感じました。そして可愛山陵では、なぜか根拠のない懐かしさを感じました。
最近、私たち夫婦の間で
ギョベクリ・テペがブームなのですが紀元前10000年紀元前9000年ともいわれるこの世界最古の遺跡も、2000年前のこの古墳も、共通して不思議なのが、何故、その時代、そこに位置づけられたのか。
太古のロマンを訪ねる旅はこれからも続きます。