みっちです。
昨日の朝は、関東は雪とのニュースが
TVで流れたそうで、東京に出張していた私を、
父が珍しく気遣い、電話をかけてきました。
私は、成田から朝一の飛行機で鹿児島へ
帰っていたので雪を見ることができません
でしたが、関東で雪に見舞われた方は大変
だったでしょう。
何年か前に、成田で雪のため寝袋が配られ、
成田空港に見知らぬ旅人たちと、雑魚寝を
したのを懐かしく思い出しました。
さて、先日発表したビデオ、思いのほか
反響があり、皆さんそれぞれに「生き方」
「死」をお考えになっていらっしゃるのだ
と、知ることができました。
レスポンスを下さり、ありがとうございます。
1月のビデオは、ずっと前からお話ししたかった
「死」というテーマについて3回シリーズでお届
けしています。
第2回目の今日は、
「今日死にたい人へ伝えたいこと」と題して
お伝えします。
22年前に私は、生きながら死んでいました。
それから月日が流れ、11年前にリコネクションに
出逢ってから人生が一転しました。
ビデオの中で繰り返される
「私は自分の事を不良品だと思っていた」
このフレーズ、収録の時や編集の時は
何も感じずにいましたが、何回か本編を
見るたびに、気になってきました。
「不良体」という単語はないので、無意識
にそれに近い言葉を探して、「不良品」と
言っているのだと思いますが、まるで物の
よう。人間は、モノではありません。
でも、本当に脚が痛くなった時に、就職先が
なかったり、「身体がそんなんじゃ使えない」
と言われて傷ついてきた過去の記憶のまとめ
として「不良品」という言葉を発したのだと
思います。
ところで、リコネクションのセミナーにTAで
参加するために世界各国行きますが、各国々で、
福祉に関心があるかないかが如実にわかります。
この前、成田からジェットスターで鹿児島に帰っ
てきたとき、ジェットスターはLCCの並みのサー
ビスですが、その会社の規約にのっとってサービ
スする人、それ以上の思いやりを持って働いてい
る人、それぞれです。
しかし、乗ってるお客様は国際線帰りがほとんど
であろうと思われる人々なので、他の国内のキャ
リアの搭乗者と比べて、マナーは紳士、淑女の方
々が多いと感じました。
日本は、2020年にオリンピックを控えていますよ
ね?私は東京へ出張するたびに、パラリンピック
で、日本を訪れた外国人の方々は、何をお感じに
なられるだろう、と思います。
現実社会と、福祉のバランスを考えると、難しい
課題はいくつもあるとは思いますが、今、まさに
今の私に出来ることは、心を穏やかにして、思い
やりをもつこと。辛い体験があるからこそ、それ
を親身になって寄り添える人間でありたいです。
以下、文字起こしをしました。
あなたは脚が痛いときに
死にたいと思っていましたね?
病気とか、痛みに耐えられなくて
「死」を感じるいう人は
結構いると思うのですが
死ぬ理由というのが例えば...
「モテないからもう、死にたい」って
ことが、あり得るのでしょうか?
私は自分を、障がい者だと思っていました。
今でもそう思うことがあるけれど
自分で自分を不良品扱い
していた時に、生きている価値が
あるのかな?と思いました。
だけど、結局…魂の仕事というか、
エネルギーの仕事というか
みんなが繋がっているのだという仕事を
始めてから
生きているだけで価値があることを
お客様にも、教えていただけるし
自分でも毎回毎回、学びます
そうやって思うようになってからは
あまり自分の事を不良品と思わなくなりました。
そうすると、生きてるだけで
世界に貢献できるなと、思ってきました。
「今日死にたい」と思う
人が例えばいたとして…
自分の姿、存在を消す人がいますね?
命を優先させるために
その場から自分を消してしまう
誰も知らない
誰も知り合いがいないところに
逃げるという方法…
私がタイに行ったのもそうです。
私は4年タイに住んでいましたが
その時に生きていた日本に
もう居たくないなと思った。
海外に行くと、全くゼロの自分で
ゼロの美智子で対話してもらえる。
しかし(日本から)逃げたつもりで
タイに行ったのに、愛国心があったり…
例えば、カンボジアの難民の人が
タイに働きに来ていました。
二十五年前のことです。
その人たちを、私は見下していました。
なぜなら、私は「美智子」を出していませんでした。
名前を?
いいえ、私自身を
彼らに表現していなかった
そうすると、彼らは私を「美智子」とは呼ばず
「日本人、日本人」と呼びました。
だけど、ある時に、人生相談を受けて
私はこう思うよ、と話ました。
そうすると、その瞬間から
彼らは「美智子」と呼ぶようになった。
すごくいい体験になりました。
ではある意味、命はあるけれど
「日本人」と呼ばれているときには
美智子は死んでいたのですね?
はい。死んでいました。
それで、
タイに行って目が生き返った
生き返ったんです!
その生き返った写真を母に見せました。
すると、母親はその写真を、ぽいと投げたんです。
なぜなら、タイに居る私は、
目が生き生きしていました。
日本ではそうではないと、
母親ならわかります。
多分…..母親の行動は
嫉妬、なんだろうなと思いました。
また、日本に帰って目が死んだ。
そのあと、リコネクションを受けて
(脚の)痛みも取れて自分を
生きるようになったから
目が生き返った。
では、死ぬという事は、命だけでは
ないのですね?
はい。命だけではありません。
命があっても死ぬことがあるんですね?
はい。死んだ状態でずっと生きている
それを多分、認識した人が
もう駄目だとおもって
死にたいと思うのではないか?
もう既に死んでいるから….
ですから、
自分で認識できているのだったら
多分、その時はすでに底つき状態ですから
そこから上に上がるのは早いと思います。
だから、
今日、もし、死にたかったら
あと一日、待ってください。
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