オーストラリアへの道①旅へのあこがれ

ヒーリングマタリキのみっちがオーストラリアに行って車窓から撮った写真

旅へのあこがれ

コロナ禍が過ぎて、
自由に旅に出られるようになったのに
自由に旅しながら
仕事ができるようになったのに
「自ら旅をあきらめているのだ」
と気づけたのは、
体調不良による絶望から。

そして、知り合いが旅先で
楽しそうに笑っている写真に
嫉妬を感じた時だった。


しかし、ひょんなことから
旅の扉は開いた。

人が変化するときには、運気の良い時ではなく
運気が悪い時だというのは、スピリチュアルな
人ではなくても、いまでは誰でも知っている。

医学的にいえば「底つき状態」ってやつ。

しかし、いろんな意味で、
頭がぐるぐるまわっているときには
それが、今だとは認識できないし、
体調の悪さが、「吉兆」だとは
思いたくもないだろう。

今回は、「旅」をとおして身体と感情が
私を解放(開放)に向かわせることになった
お話をシリーズで書かせていただこうと思う。

吉兆来る

35年前、私はメニエル病と診断された。
横になった時に激しいめまいが来る病気。
相当苦しい。

それが、6月8日の朝に再発。
自分ですぐ、それだとわかった。

当時、ドクターから
「職場を辞めないと治らないよ」
と言われ素直に従ったら、
いつの間にか治ってしまった。

と、いう訳で今回もストレスが理由だとわかり
自問自答することにした。

「何がストレスなんだろう…」

この日は、友人と
「戦場のメリークリスマス」
を観に行く約束をしていた。
前日には、映画を観終わってから
宮崎の韓国食堂ナムシジャンに
ランチに行こうと約束していた。

だが、友人もこの日は体調不良で
約束をキャンセル。
外は雨が降っていたので、
家には父が居る。

ふらふらして気分が乗らないけど、
家に居るよりは
気持ちが晴れるだろうと

一人で「戦メリ」を
観に行くことにした。


帰り、ちょうどお昼だったので、
昨夜話の出た韓国食堂に
行ってみることにした。

肌寒かったのと私の好きな
牛テールスープがメニューに
あったのでそれをオーダーした。

人気店だと聞いていたので
期待していたのだが、
接客と味は私の口には合わなかった。

と同時に13年前にシドニーで
友人が作ってくれたインドネシア風
「牛テールスープ」の
思い出がよみがえってきた。

それからというもの、
「牛テールスープ」を
作ってくれたRatih
(ラティー)の顔が浮かんでは消え、
浮かんでは消えた。
たまらなく気になって、
数日後メッセンジャーで連絡を取ってみた。

どうしてもRatihに会いたくなった。

ラティーとのやりとり

私:ハロー。ラティー。元気?
  私はあなたに会いに行きたいんだけど。
  ご都合いかが?

ラティー:わあ、美智子!元気? 
     2018年に京都で会った以来よね。
     
ここで、数日前からラティーのことが
気になりだした理由を話し、コロナ禍での
ことなどを話す。

ラティー:どれぐらいいれそうなの?

私:今、安いチケットを探してて…
  それによるんだけど、大丈夫?
  6月出発だと安いのあるみたい。
  7月に入ると学生が夏休みになるから
  3倍ぐらい高くなる(涙)

ラティー:こっちもそうよ。学校が冬休みだから
     国内線も今は高い。
     わかった。チケット
     一緒に探しましょう!

と、いうわけで、ズーム会議に突入。
しかし、彼女がズームを利用していなくて
Microsoft Teamを使ってやりとりしたんだ
けど、ズームより簡単。

私:宮崎出発は6月21日にしようと
思っているんだけど

ラティー:6月20日はどう?
     そしたら、冬至(日本は夏至)の日に
     こっちに着くことになるでしょ?

と言う会話の中で、私たちはひらめいた。

「これは、何かあるぞ」

何かあるとは、宇宙の計らいの意味。
今回の旅行は、何かたくさんの気づきが
あるはず!

という事で、チケットの購入ミスがないように
翌朝、チケットを購入することにした。

(つづく)