全てを受け入れるのよ。鞍馬山からのメッセージ

連載3回目

みっち(江藤美智子)です。2016年、プライベートを振り返ってみると、国内の祈りの場所(パワースポット)をめぐる旅に縁のあった1年でした。そこで、今日から数回に渡り、神社で受け取った印象や、心に浮かんだ事を綴った旅行記をシェアしたいと思います。

金沢からサンダーバードに乗り、京都駅へ。
宮崎から、茶道の裏千家の集会で京都を訪れていた友人と合流して京都の旅が始まりました。

天狗に呼ばれた鞍馬山への旅

石川の白山比咩神社から、金沢市内へ戻る道中、「天狗の肉」という大きな看板を見かけました。
天狗の肉?奇妙な名前は記憶に残ります。京都に入ってからも、骨董品屋や、町中で天狗のお面や絵を見かけました。
「天狗…」何のサインだろうと思って眠りにつき、翌朝早く眼が覚めて「天狗」の事を考えていました。そして、やっと気が付いたのです。「京都と言えば、鞍馬天狗が有名だな」そう思った瞬間、宿の壁が「ばたばたばた」と大きな音がしたのです。「よし!鞍馬に行こう!」一緒に同行していた友人にそれを伝えると、快く賛成してくれたので、鞍馬に向かうことにしました。

レイキではないものを受け取ってしまった私

鞍馬山と言えば、レイキの創始者臼井さんがそのエネルギーを得られた場所。私はヒーリングの世界に入る前は、オーストラリア出身の先生に、ヨガとレイキと英語を習っていました。

レイキのアチューメントを受けてから、幼少の頃から感じていた第六感的なものが繋がりはじめ、ワサワサと見えたり聞こえたり、頭の中が忙しく騒がしくなりました。

手にピリピリした電気的な反応もあり、どうすればいいか困ったので、当時習っていた先生に「どうしたらこれが治りますか?」と聞いたら、「わからない。」という答えが返って来ました。

当時の私は、今以上に人間ができていなかったので、「先生なのに何を無責任な事を言っているのだろう。」といぶかしげに思っていたのですが、今は、先生が言ったことが「本当にその通りで素直な答えだったのだ。」と思えるようになりました。

レイキ発祥の地、鞍馬寺

更に、レイキのレッスンでは、先生から「美智子のはレイキではない」と言われて、私は、どうすればいいかわからなくなり、教室を辞めると同時に、数年は自分が受け取った周波数の正体を探していましたが、リコネクションのセミナーに参加した後どうでもよくなり、探すのを止めました。

このような経緯があったので、エネルギーを感じる仕事を始めて9年経った今なら、鞍馬山でレイキの周波数を感じとれるかもしれないと思い、ワクワクしながら山頂に向かいました。

レイキ:レイキヒーリングは民間療法であり、手当て療法エネルギー療法の一種。

身体に備わっている自然治癒力への東洋の信仰に基づく技法であり、患者の治癒反応を促進することを目的とし、施術者が患者に軽く手を当てる、もしくは患者の真上に手をかざして、手のひらから「レイキ」というエネルギーを流す方法。
引用:Wikipedia

全てを受け入れるのよ

同調を始めてからすぐ、あたたかい、穏やかな気持ちになって来ました。「物事には、正しいとか、間違いとかない。全てを受け入れるのよ」、そんなイメージが心に響いて来ました。一言で言えば、『受容』。言葉には意味や言霊の他に意識レベルという考え方があります。そこで、受容の意識レベルでの意味を探ってみることにしました。

受容の意識レベルは、350

意識のこのレベルでは、自らがソース(源)であり、自分 自身が人生のクリエータであるという意識と共に大きな変容が起きます。「自分がすべての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なもの であり、生命のエネルギーと調和をもって生きることができる能力が特徴です。

200未満のレベル(下記表参照)におけるすべ ての人間は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者とみなします。これは、幸福の源や問題の原因が、「向こうに」あるという信念から起きます。幸せの 源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルで完成します。

さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こう」には何もなく、そして「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内より創造されるものであるということに気づきます。

このレベルを受身と誤解してはいけません。受身は無関心の徴候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、物事の見方が広がってきます。

人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見る事ができます。経験の内容は拡大されるので、「全体像をみる」ことができるのです。「受容は」本格的にバランス、割合、適切さに関係します。

「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違いかを決めることには関心はなく、その問題の解決策を見つけだすことに 全力を尽くします。きつい仕事に対して不快に感じたり、うろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己鍛錬と物事に精通することが際 立ってきます。

「受容」のレベルでは、争いや抵抗によって二極化することはありません。他の人たちも自分と同じような権利があるので、平等さを尊重します。

また、低いレベルは硬さが特徴ですが、このレベルにおいては社会的な二極化は、問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、区別や不寛容さはありません。平等とは、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ全体を含めます。

引用:パワーかフォースか デビッド・ホーキンズ著・エハン・デラヴィ訳(三五館)より

出典:意識レベルのマッピング表http://www.ishiki-level.com/map1.htm

 

あるがままに受け入れることとは。

あるがままに受け入れることとは、全ての感情を受け入れる事にも通じ、そのためには、感情を否定せず、それが何であるかを認識し、そして手放すという流れが大切です。やったらいけないのは、感情を否定すること。否定的な行為は自分には価値がないと思い初め、そのエネルギーは心や細胞に蓄積し病気や無意識の行動として現実化します。

あなたは、感情のバランス、うまくとれていますか?

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